やらなきゃ→やりたいライフへの未知

なんか幸せになりたい、なんて漠然に思う日々に気づいたことを書き綴ります。あなたに役立つ記事があればお互いラッキー♪

【気づき】足を引っ張る自分と向き合いたい

ささやかな行動から、転職なども含めた人生のイベント的大きな行動まで

私たちは心の中で思い立ちます。

いろんな思いが浮かんでは、

「でも出来ないよね、そんなのは。」

と、もう一人の自分が足かせのように批判し私たちは行動をやめてしまいます。

そして結局、後悔をする。。。

 

ここでしっかりと気づきたいのは、

批判するのもまた自分であり、他の誰でもない。

ということ。

誰かの顔が浮かんだとしても、

その誰かを思い出したのは自分自身である、と言うこと。

 

自分の心の中で何かの引っ掛かりがあって「いいな」、

いいなとは行かずとも「気になる」と思ったから

それを選択しようとした。

そして行動しようとした。

 

その時

ついつい

「誰々がダメって言うかな、やめとこうかな。。。」

って二の足を踏むんでしまう。。

では、

その誰々は具体的に誰ですか?

なぜその人を自分は持ち出してきて脳内再生したのですか?

 

頭の中で出てくる様々な人たち。

親や家族や友だちだったり、先生や先輩に著名人だったり、

他にも同僚・後輩や高圧的な上司やゲスい人たちもいるでしょう。

多種多様の様々な人たちの顔。。。

時に、

常識という名の顔のない群衆の時もあれば、

自分の顔の時もあるかもしれません。

とにかく、

その批判者たちを脳内再生、呼び起こしたのは自分自身であるということ

ここをまずスタート地点にしたいんです。

 

そしてそれを受けて、

その次の着目ポイントは

どうして自分は「その人たち」を思い出したのか。

 

大切にしているから?

尊敬しているから?

うるさいから?

怖いから?

ご飯食べさせてもらってるから?

面倒だから?

 

 

思い出す、と言う行為自体は、

何かのキッカケで発動します。

ということは、そのキッカケとなる

何らかの理由。。。

今までの経験、出来事、自分の信じちゃっていること、

今の自分自身のメンタル状態、身体の状態。。。

そこに自分的フォーカスをしてあげることで

これらの自分の信念にこびりついちゃった何か、今時点での自分の状態

自分自身とが向き合えるポイント地点になるんだと思います。

多分自分が気にしてしまっているコトがあるはずです。

 

この先、

行為をやめることで

自分が何となく後悔しそうなだなぁ

って思ったとしたら、

その批判者たちを持ち出した自分の理由を考えてみましょ。

 

その理由と向き合うことが自分を向き合うということ。

「世間的に常識だから」って言うから思い出した。。。

「親が当たり前でしょ」って言うから思い出した。。。

その時々の様々な批判の理由と対峙した時、

実は

そこを乗り越えたい、そんなの関係ねー、どうしてそんなこと言い切れる?

休みたい、つまらない、・・・・・

自分自身が何らかの思いを、

蚊の鳴くような声で、声にもならない声で、

言っていませんか?

 

そうした自分の気持ちをないがしろにしてきたから

私はこんなに後悔しがちなんでしょう(号泣)。

 

だから、都度都度、そんな出来事があった時は

紙に書き出したりして

そのちっちゃなボリュームの自分の声を拾ってあげましょ。

最初は結局、

自己批判の自分の想起に屈して また足止めしちゃうことばかりでしょうけど

徐々に

あぶり出してきた自分の声は

少しずつボリュームを取り戻してきて

この自分の未来、ちょっと先に

向き合って出てきた理由に対して、

建設的な対応を取れるようになっている自分がいる。

そんな確信があります。

 

まぁ最初はうまく行かないけど、やっぱりそこは練習だし

自分の声が分かるんだったら楽しい作業ですよね、きっと(笑)。

 

なんてことに気づいた今日この頃です。