やらなきゃ→やりたいライフへの未知

なんか幸せになりたい、なんて漠然に思う日々に気づいたことを書き綴ります。あなたに役立つ記事があればお互いラッキー♪

【転職活動記】(01)プロローグ(なのにプロローグ以前の話)

カテゴリー「転職活動記」の記事は、極めて私的ログです。

面白みも何も無い可能性があります。

極力読みやすいようには書くつもりなので、

アナタのおヒマな時や気が向いた時にでも読んでいただけたなら、うれしいです。

 

前回(【転職活動記】(00)プロローグ以前(ワタシのご説明) - やらなきゃ→やりたいライフへの未知)では、

ワタシのお仕事と、ITシステムエンジニア@常駐エンジニアについて

書かせてもらいました。

今回は、その常駐エンジニアに至る前のちょっとしたお話をさせてください。

(「いつ転職すんの!?」と言うツッコミ、ごもっともであります(笑)ご容赦ください〜。)

 

実はワタシ、1999年、新卒入社で福岡の方で働いていました。

(2008年から転勤で東京。)

新卒で入社したのは、社員数が15名程の小さなシステム開発の会社でした。

そこでは、"受託開発"という形態での働きで、

働らく現場が自社であり、

要求された仕様のもと、自社内で開発・改造したシステムを

依頼元にCD-ROMなどに焼いて納品する

形態での働きでした。

 

正直、充実していました。。

(もう20数年前なのでその当時の感覚を忘れてました。)

小さな会社ではあったけれど、事務所みたいな小さな場所だったからなのか

先輩たちと家族のようなアットホームな雰囲気の中で、

みんなとともに一つの目的のものをつくっていく。。。

大変なことや、嫌なことも多々あったけれど、

振り返ってみると、それ以上に楽しくて仕方なかったです。

 

ただ、そんな時間も数年が経つと、許されなくなりました。

小さな会社は収入も少ないです。

若者のスキルにマッチした案件の受託自体が困難だったのでしょう。

若人は社外に出て稼いで来い、己を磨いて来い、として

前回ご説明の大手ベンダーに常駐して働く、

常駐システムエンジニアとしての働き方が余儀なくされました。

 

確かに、

社外には多くの優秀なエンジニアがいて、刺激的でした。

同年代なのにべらぼうにできるエンジニア、人間的にも魅力ある先輩エンジニア、

確かな実力を持つエンジニアたちが年齢に関係なくいました。

彼らのおかげで刺激をもらったからこそ、今の自分があるんだと思います。

 

ただ、

やはりワタシは自社内で働きたかったんですね。

社長にお願いして、なんとか自社内に戻してもらうことになりました。

ただ、戻してもらったところで、若造にさせられるちょうどいい仕事が、

パッとある訳ではありません。

結局、また出戻りの逆バージョンにて、

同じ常駐先の別のプロジェクトにて常駐し、お仕事をする羽目になるのでした。

 

当時は激務が当然でした。

2000年代初頭、IT系のお仕事は激務だと世間には認識されていましたしね。

学びもやりがいはありましたし、実際やっていけてもいましたが、

若気の至り、ただキツイとか薄給だといった理由で

(小企業の我が社には残業代は出ていませんでした。)

明確な本当の退職理由を自身で把握することなく、

そのアットホームな会社を退職するのでした。

 

次の会社は、

同じく福岡にある中規模のシステム開発会社でした。

常駐していた頃に出会った先輩が勤めていた会社で、

紹介される形で転職しました。

その会社は、ワタシお望みの受託開発でした。

配属された、チームのメンバーたちはみな愉快で優秀で、

ワタシもその一員に溶け込めるよう、自分を(勇気を持って)さらけ出し

飛び込むことで、色々勉強させてもらいましたし、

いい仲を築くことができました。

何より、チームでモノを作る、というその形態でのお仕事自体が

やっぱり楽しくて仕方なかったです。

 

直近の転職活動に至るのは、この当時から10数年後になる訳ですが、

ワタシ自身、この時の自分が楽しい、と感じる感覚を忘れていました。

今後の話に出てくるのですが、

ワタシは自社の人間としてシステムに関与する形態での業務がやりたかった

ということだったんですね。

時の経過とともに、それからの自分の心を自分で抑え込んでいたんでしょうね、

全く忘れていました。

 

ぬぉっと!

またもや長くなってしまったので本記事を締めたいと思います。

ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございます。

あなたの優しさに感謝です。

本記事を通して書きたかったのは、

ワタシ自身 忘れていたけど、

振り返ってみることで、

ワタシって実は受託開発がやりたかったんだ

という想いがあったんだと気付いたことでした。

(そして、昔過ぎたのか、自分を抑え込んでたのか、その気持ちを忘れていたことでした。)

 

その後のワタシは、

2008年東京に転勤して00回の記事でご説明した常駐型エンジニアになっていきます。

読んでいただき、ありがとうございました!