「どんな名曲も、聴きたくない人には雑音です。」
全くもってその通り(笑)。素晴らしい名曲だって、今その人が聴きたくなければ、その人にとっては耳障りなだけですよね。確かこのキャッチコピー、2、30年前のAC 公共広告機構のモノだったと思います。(うろ覚えでごめんなさい。)
話はそれて、
2、30年前に比べたら今はもう、超々々々情報化社会。
情報の重要度はますます増して、且つ、有益な情報にもいとも簡単に到達出来ますよね。
(なんて私たちは幸せなんでしょう。)
で、
情報の筆頭は言葉。
自分にとっての、やる気の出る言葉、有意義を感じる言葉、感銘を受ける言葉、笑える言葉、泣ける言葉、感動する言葉、そりゃあ沢山の素晴らしい言葉がネットの世界に存在しています。
ネットだけじゃない。
書籍にしたって、著名人のオススメや、多くの書評に評判だったりで、名著やその中に在る素晴らしい言葉に出逢える確率も増してきました。
だからこそ、
私みたいなお調子ノリには、気をつけないといけないことがあります。
それは、有益な言葉に接した時、
「この言葉は、今のこの自分に対して本当に使える言葉なのか?」
と、自問しなければならない、ということです。
例えば、
「集団の中では開口一番、自分をさらけ出し、積極的に関与していこう!」
といった言葉があるとします。
読んだ私は、確かにそうだよなぁ、自分にはないなぁ、こういう人が世の中成功しているよなぁ、って思うのです。
だから、
自分もそうあらねばっ!って思うのです。
そうしようっ!って決断するのです。
…。
でもね、
この言葉の効能があるのは、
外向型(他人と一緒に行動することを好むタイプ、とします。)の人なんです。
内向型(実行力に乏しく孤独を割と好みがちなタイプ、とします。)の私にとっては、土台無理な話なんです(泣)。
だって性質が違うんだもの。
同じ花でも、ヒマワリもあれば、アジサイもあるように、それぞれ性質が全然違います。
それなのに今までの私は、菜の花なのに、チューリップになろうとしていました。
そうして「何で俺は、チューリップみたいに花弁を力強く立たせて咲かせられないんだっ!」
と、出来ないことに対して、自分に腹を立て、自分を責め、自己肯定感を自分自身で貶めていました。
その言葉を知ったばっかりに、感銘を受けたばっかりに、結果自己否定に走るという、この愚行…。
振り返れば、本当にお門違いも甚だしい。
自分で自分に申し訳なく思います。もう10年以上も自分に無理させてたんだから…。
どんな素晴らしい言葉でも、
効能があるのは
その人の性質や、成長過程のその時点時点によって変わります。
無理強いをさせて自己肯定感を下げる危険な良い言葉だってあります、猛毒になり得ます。
だから大切なのは、
自分は、どんな性質で、どんな好き嫌いがあるのか、を自分で分かろうとする事。
有効性の高いお薬だとしても、衰弱しきった人の身体には劇薬、毒にすらなります。
その人にとってはお薬よりも、身体を少しずつ良くするお粥の方が、効能がある訳です。
結局は、自分の状態を自分で把握してあげるしかないんでしょうね。
自分にとってはおぞましいホラーな話に気づいてしまった、という今日この頃です。
かといって
チャレンジしない言い訳にはならぬよう、そこそこ自分を甘やかさぬよう気をつけなきゃいけないんですけどね(汗)。