やらなきゃ→やりたいライフへの未知

なんか幸せになりたい、なんて漠然に思う日々に気づいたことを書き綴ります。あなたに役立つ記事があればお互いラッキー♪

【気づき】思いを馳せた先に、自分の存在あり。

「思いを馳(は)せる」

遠く離れている人や物事を思いやること。。。

 

この全く合理的でない行為。

でも、決して侮れないと思います。迷い多き私のような人には、必須ではないけど必要な行為、だと思います。

 

アナタがもし、私と同じく迷いの多い人だったら、お試ししませんか?

ちょっと考えてみます。

アナタのおじいちゃんやおばあちゃんのご両親方、すなわちアナタのご先祖さんたちのことを。

どんな人だったんだろうか、どんな幼少期だったんだろうか、どんな風に出会って結婚し、おじいちゃん・おばあちゃん達が生まれ・育てたんだろうか、おじいちゃん・おばあちゃん達も赤ちゃんだったり幼少期もあったんだろうなぁ。。。更にその上の世代はどうだったんだろうか。。。

この時、どんな人だったかの正解、合っている・いないは、どうだっていいんです。

 

生物学的にこうして脈々と命を次の世代に託し、繋いできた命の流れ。

そしてその流れの先の今が、アナタなんです。

はるか太古の昔のご先祖さんなら、命からがらなんとか生き延び、生命を次世代に託した人たちもいたでしょう。歴史の教科書に載っている時代の中で、名前は教科書に挙がってこなくても、確かにそこにアナタのご先祖さんはいた。そのご先祖さん達あってのアナタの存在を感じた今、自然と感謝ができます。例えば五代前なら、2の5乗で32人のご先祖さん達が自分の出生に影響している。しかも自分が全然知らない人たち。世代を遡っていくほどご先祖さん達の人数も多くなっていきます。その中にはめっちゃいい人もいれば、めっちゃ悪い人もいるでしょう(笑)。でも、その人達が繋いでくれた命、そのお陰の先の自分なんですよね。

「あぁ、自分が見たことのない人たちのお陰で、努力して命を繋いでくれたことで、今の自分があるんだな。その存在は確かに、自分の遺伝子のみぞ知る、だけど、間違いなく確かだし、ありがたみが出てくる。。。」

 

日々の暮らしの中で、ほんのちょっとの、自分のご先祖さんたちに思いを馳せる時間をいかがでしょうか?なぜか、自分の在り難み(ありがたみ)を感じられる、そんなことに気づいた今日この頃です。