やらなきゃ→やりたいライフへの未知

不惑の四十路も半ば過ぎた惑いの男が、変わりたいと思う日々に気づいたことを書きます。あなたのお役にもなれたらと、切に願います。

【転職活動記】(02)働らくとも もたげるモヤモヤ感

カテゴリー「転職活動記」の記事は、極めて私的ログです。

面白みも何も無い可能性があります。

極力読みやすいようには書くつもりなので、

アナタのおヒマな時や気が向いた時にでも読んでいただけたなら、うれしいです。

 

前回(【転職活動記】(01)プロローグ(なのにプロローグ以前の話) - やらなきゃ→やりたいライフへの未知)は、

現在のワタシがとうに忘れていた、

ITシステムエンジニアで受託開発がしたかったんだな、

という経緯について書かせてもらいました。

今回は、常駐システムエンジニアとしての働いてた過程についてのお話です。

(「いつ転職すんの!?」と言うツッコミ、ごもっともであります(笑)ご容赦ください〜。)

尚、常駐システムエンジニアとしてのワタシ自身の葛藤がありますが

その働き方が向いている人も山のようにいますので、

あくまでも個人的感想であることを、ご承知おきくださいねー。

 

二社目の会社に知人の紹介で転職し、

より良きチームワークのもとでお仕事していたワタシ。

転職後3年目の2008年リーマンショックの年、転機が訪れます。

(2021年の今からすると12年前かぁ、随分経ったなぁ〜(しみじみ。。。))

 

世の中は不景気となり、福岡での案件数は減っていました。

その当時の(仲が良いと思っていた)部長と

今後の会社の方針について熱く語り合っていたアラサーだったワタシは

東京に長期出張を命じられます。

会社の命令は絶対だと勝手に誤解釈した昭和世代のワタシ。

更に、内向的性格でそこまで自身の意見を言えなかったワタシ。

部長の熱い煽りもあって、長期出張を受けてしまいました。

が、更に実は、

出張に行って二日目、電話口でその部長から「お前は転勤ね。」と告げられます。

ワタシの誤解釈はまたまた続きます。

"はい"か"Yes"しかないと思い、受けてしまいます。

なおこの時、妻は全国に支店を持つ会社だったので、自己都合転勤という形を取り、

私たち夫婦は東京に転勤することになりました。

 

転勤の経緯はともあれ、

東京での生活は当初、目に入るものがまばゆくてただただ楽しかったです。

田舎者のワタシからすれば、地方局から流れる全国=東京のニュースで

よく目にしていた単語

「新宿」、「渋谷」、「原宿」、「青山」・・・

が、日常の単語として行き交う中で、ワタシは高揚感に包まれていました。

今の時代2021年こそ、徐々にボーダレスになってきていましたが、つい先日までは

東京と地方

の境界線は明確にくっきりとあり、

日本は東京を中心に回っていました。

東京関連の単語が当たり前として使われる普段のニュースやドラマを

地方ではただ見させられるような状況下でしたので。

その東京で働けることが、ただただ楽しかった。

満員電車でも、それまでチャリ通勤であった自分からすると

ギュウギュウなのにこれが満員電車かと新鮮で楽しかった。。

 

さて、お仕事も常駐システムエンジニアとしてはじまります。

これも楽しかったです。

なぜか。

やっぱり一緒にプロジェクトを組む人たちに恵まれていたんでしょうね。

(加えて、ワタシ自身も主体的に動けていたのが良かったんだと思います。)

東京は人が冷たいよ、なんて地方では言われていましたが、

色々とプライベートも話せる素晴らしい仲間たちと出会い、

協力しながらモノが作れることが本当に楽しかった。

だからプロジェクトの終わりが切なかったです。

 

ただ、そうした東京・関東を満喫していて3、4年経っていた

一番思い入れのあったプロジェクトに参画中に、

他の売上の高いプロジェクトにワタシを入れたい

という所属会社の思惑が働き、

強制撤退から別プロジェクトへの参画が命じられます。

 

ワタシにとって、人生のターニングポイントの一つでした。

 

それ以降、常駐していくプロジェクトにて

ワタシは大変な思い、嫌な思いをすることが多くなりました。

お仕事てやっぱり、一緒にする人、なんですよね。

ある場所では、自分より随分と年下のリーダーから

参画直後の説明にしては、随分とアッサリした不親切な情報をもらった後は、

「情報は自分で調べるものだ」と情報格差の中に放置されたり、

別の場所では、

自身の説明不足を棚上げした状態で

「年齢もいってるのに随分仕事が出来ないな」とか

毎日毎日人格を否定する罵声を大声を張り上げ続けたり、

(要はパワハラです。)

またまた別の場所では、自分のミスは棚上げした上で

些細なミスが起きてしまった時に、

椅子を蹴られたり、壁を蹴られたり、固定電話機投げつけられたり

やっぱり大声張り上げられたり。。。

 

これ以上はもう書きませんが、

まぁ酷い人も世の中いるもんだな、

心的ダメージとともに実感したわけです。

別の現場にいる同僚たちには随分と同情されましたよ、

だって、そこまで酷い人って、そうそういないですから。。

 

私も大人ですので、

彼ら酷い人たちにも冷静な対応に徹する訳ですが、

内向的な性格もあり、内心では結構引きずることが多かったです。

が、だんだんと自身で心身のケアが出来ないまま仕事をしていたので

知らず知らずに疲弊していったのでした。。。

 

この心身のダメージをケアできていなかったことに無意識であったこと、

今、振り返っても非常にまずかったと思います。

 

こんな状態ではポジティブになりたいワタシでも

自分に無理強いする状態になり、よって色んなことが上手くいきませんよね。

 

そうした人の問題もワタシにはありましたが、

加齢による感度の違いからくるストレスも、

常駐エンジニアではまた、あったかもですね。

プロジェクトのお仕事のために一時的に烏合の衆となって集まり、

プロジェクトが完了すればまた、別のプロジェクトに。

プロジェクト毎の

メンバー・システム・仕様・仕事内容・開発環境・・・様々ある中で

都度都度対応していくことに

億劫に感じてもいたんじゃないかな、と思っています。

 

もう一方で、

所属会社からもエンジニアとしての評価、役職があります。

ワタシ自身フレキシブルに対応できる方なので、

様々な現場に対応してきました。

が、故に、単独・一人(=所属会社の同僚がいない状態)での常駐作業も

多かったです。

なので、会社としての評価もなかなか得られづらい状況でもありました。

 

基本はポジティブに生きたいワタシです。

今、こうして記事を書いていると明言できていますが、

在職中のワタシはこの気持ちを言語化できていなくて、

ただただ、なんか違うな、なんかしんどいな、

なんで自分がこんなに乗り気になれないんだろう、

単なるモヤモヤ感として感じながら、働き続けるのでした。。。

 

ふぅ。。。この3記事目も随分と長文に・・・(涙)

本当に読んでくれたアナタ!

アナタは本当に優しい人ですね。

ありがとうございます。

アナタの存在に感謝しています。

 

タイトルの通り、

働くのに、なぜかふつふつと感じるモヤモヤ感があった

違和感があった、という記事でした。

次回は、そう、やっとこさ退職を決めるワタシについてです。

 

 

【転職活動記】(00)プロローグ以前(ワタシのご説明) - やらなきゃ→やりたいライフへの未知

【転職活動記】(01)プロローグ(なのにプロローグ以前の話) - やらなきゃ→やりたいライフへの未知